なぜ楽天という大企業を辞めて1ルームからベンチャーを始めたのか

なぜ楽天という大企業を辞めて1ルームからベンチャーを始めたのか

2014年10月、Housmart(ハウスマート)という不動産テックベンチャーを始めた。

「なぜ?」と良く聞かれるが、答えは単純で「やってみたかったから」である。

死ぬほど単純だけど、この心の底から思う「やってみたい」をどれだけ追求出来るかが、人生の分かれ道だと思う。

結果として、2年前のこの判断は、私が人生で今まで決定した決断の中で最高の決断だった。

人生の幸福度

大学生の時に読んだ論文で、衝撃的なものがあった。

タイトルは忘れてしまったのだが、高度経済成長期の日本とアメリカで同時に行ったアンケート結果を元にした論文だった。

当時、日本はイケイケドンドン。給料も上がるし、終身雇用制度も守られているし、今の若い世代からすると羨ましい「古き良き日本」だ。

一方アメリカは日本をはじめとした新興国に押され、貿易赤字が拡大。不景気のあおりを受けて、企業はリストラを進めていた。

行ったアンケートの質問は2つ。

  • あなたはどのくらい幸せですか?
  • あなたが勤めている会社を他人にどれだけオススメ出来ますか?

果たして、どちらの国の方が良い結果だったか?

お察しの通り、アンケートの結果はアメリカの方が良かった。

どう考えても、状況的にはアメリカの方が劣っているはずなのに、だ。

私はこのアンケート結果に衝撃を受けた。一体何故だ、と考えた。

そこから導き出した仮説は「アメリカ人の方が自由に生きているからではないか」ということである。

自己決定の大事さ

人間不思議なもので、人に命令されると、やる気がなくなってしまう。親に勉強しろと言われて、素直に勉強する気になれないのと同じだ。

一方、自分で行きたい大学を決めると、熱心に勉強したりする。

自分達で目標を決めると、自然と努力する気になる。

自分で自分の行動を決める、ということが非常に大事だということだ。

終身雇用制度は一度会社に入ってしまえば一生クビになることが無い制度だが、ある意味一生会社の言うことを聞かなくてはいけない、ということでもある。

終身雇用制度は必ず毎年昇進出来るわけではない。自分の好きな仕事を選択出来るわけでもない。意思決定を自由に出来るわけでもない。ただクビにならないだけだ。

もし仮に、現状の仕事がつまらなくなったとしても、終身雇用制度が一般的な世の中では人材の流動制が低く、中途採用も一般化していないため、他の会社では現在と同じ年収やポジションを得ることが出来ず転職が出来ないということが起きる。

さもすると、生活の為だけに仕事をすることになってしまう。

これは、幸せと言えるのだろうか。

自由という言葉の意味

私の仮説では、幸せと自由は密接に関係していると思う。

自由とは、自分に由る(よる)ことだ。

つまり、自分の力で生きているということ。

別にやりたくない仕事はやらなくてもいい。気に入らなきゃ、どうぞクビにしてくれ。逆に会社がイケてなかったらこっちから辞めてやる、ということである。

もちろん、自分の力はちっぽけな物なので、出来ることは限られている。予算や影響力、巻き込める人数も小さいかもしれない。

しかしそれでもなお、自由であるということは私達をワクワクさせてくれる。

なぜ、あんなにも文化祭の準備は楽しかったか。それは、何も分からない中で、自分達でやることを決め、どうやるかを決め、実際に運営まで自分達で行ったからではないか。

5大商社に勤め、石油プラントを作る数兆円のプロジェクトに携わったとしても、果たして文化祭の準備とどちらが面白いかどうか、言い切ることが出来るだろうか。

自由はリアルで残酷で最高に楽しい

起業をする前、自分で「気持ち悪いなぁ」と思うことが何回かあった。

それは上司への数字の見せ方であったり、責任のなすり付け合いであったり、顧客への提供価値とは関係のない仕事であったり、リアルではないことだ。

一方で毎月振り込まれてくる高い給料、半年ごとのボーナス、「えっ、あの会社に勤めてるんですか!」という周りからの褒め言葉は、悪い気分のものではない。

土日は休みだし、プライベートも確保出来る。売上数字が悪くても、言い訳をすることも出来る。

そうして段々、自分が腐っていくような感覚を覚えた。

ベンチャーを始めてから、状況は180度変わった。

給料は自分達で稼ぐし、会社の知名度は殆どない、言い訳をする暇なんてないし、会社の成長に関係ないことなんて1mmもやる余裕はない

完全に「◯◯に勤める針山さん」ではなく「◯◯をやっている針山さん」にシフトチェンジが起こった。

社名を言えば醸し出されるオーラもないし、自分達のやっていることが間違っていれば結果は最悪だし、守ってくれる上司もいない、従っとけば怒られない社内ルールもないし、自分の代わりに仕事を全部やってくれる部下もいない。

圧倒的に残酷だが、今の方が1000倍は楽しいと断言出来る。

↑創業当時の様子。

大企業も小さなチームの集合体だ

よく「でも大企業の方が大きい仕事が出来ますよね?」という話を受ける。

確かに大企業の方が売上は大きいが、どんな大企業も小さなチームの集合であることは間違いない。

たとえ10万人の会社であろうと、実際に仕事で関わり合いがあるのは50名にも満たない。その中で、日々額に汗をかいて一緒に仕事をするメンバーは10〜30人程度ではないか。そうすると、ベンチャー企業と何ら変わりはない。

売上の規模と、その会社が最高の仕事やプロジェクトをしているかどうかは、少なくとも将来に関しては分からない。

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの2人が1977年にAppleIIでコンピューター市場に殴り込みをかけたとき、IBMの売上は約2兆円、従業員数は31万人もいた。

あまりにも売上企業がデカすぎて、司法省から独占禁止法違反で提訴されるレベルだ。

IBMとアップル、どっちの方がでっかい仕事で、どっちの仕事が面白いだろうか?

31万+1人になるのか、ほんの10数人で世の中を変えてしまうのか。

人生は一回しかない

本当につくづく、今ほど面白い時代はないと思う。江戸時代には身分が決まっていたし、明治時代からつい最近までは、何かビジネスをやろうと思ったら数億〜数百億のお金が必要だった。下手をしたら政府に目をつけられて、殺されるかもしれない。

それが今や、ネットが普及し、スマホが当たり前になり、数人のチームが世の中を変えられる可能性がある。身分や生まれに関係なく、誰でも挑戦が出来る。

こんな状況が、今この時代以外にあっただろか。

私が尊敬する人物の一人である渋沢栄一は、第一国立銀行、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、500以上の企業の設立に関わったという。

一体どれだけ人生を楽しんだんだろう。誰しも、渋沢栄一になれる可能性があるとしたら、本当に面白い世の中だ。

まとめ

もっともっと、優秀な人たちが新しいビジネスにチャレンジする世の中になったら良いと思う。その方が面白いし、気持ちが良い。

会社はもう守ってくれないし、そこにしがみつくことが逆にリスクになることもある。

別に失敗したって牢屋に入れられるわけでもないし、食えなくなるわけでもない(もちろん、やるからには100%勝ちを狙いに行く)。

確実に言えるのは、自分の心に素直になって動いた方が、魂が喜ぶということだ。

今ではハウスマートもメンバーが20名を超え、最高の仲間と戦後60年間続いてきた不動産取引のあり方を根底から変えようとしています。

最高の仲間を募集しています!

ご興味があれば、是非ご応募ください!!